森鴎外『舞姫』の発想——豊太郎の恨み
夏玉娃天津工程师范学院
【摘要】众多的读者认为,丰太郎最后选择抛弃爱情,走上仕途是基于近代自我的觉醒。于是文章结尾处的“至今对相泽还有点憎恨”,也可以顺其自然地理解为是相泽导致了悲剧的发生。但是笔者认为,事件的结局是由丰太郎这个内因一手造成的,对相泽的恨不过是丰太郎转嫁责任的借口而已。
【关键词】出人头地美貌金钱责任转嫁
【中图分类号】I106【文献标识码】A【文章编号】1006-9682(2009)06-0113-02
【要旨】豊太郎がエリスを捨てて、帰国することを選択したのは、「近代的自我」の目覚めだからだと思う人が多くいるだろう。そして、エリスを発狂させた人が相沢だから、豊太郎が彼に恨みを持つというのも当たり前の考え方になる。しかし、悲劇がおこったのは豊太郎のせいだし、相沢に恨みを持つというのも豊太郎は責任転嫁の口実しかではないと作者は思う。
【キーワード】出世美貌お金責任の転嫁
一、はじめに
森鴎外の『舞姫』が第一の傑作として、『国民之友』第六九号(明治二三年一月三日発行)附録「藻塩草」の冒頭に発表した。発表直後に石橋忍月は、豊太郎がエリスを捨てて帰国するという作品の流れが「支離滅裂」であると批判し、「かれが応さに功名を捨てて恋愛を取るべきものたることを確信す。」と主張した。批評家の間で豊太郎の苦悩が高く評価されているのに対して、一般の読者には優柔不断とか無責任という否定的感想が多いと思われる。特に豊太郎がエリスを発狂させ、相沢に恨みを持つというラストシーンに後味の悪さが残ることも事実である。エリスとの愛情に満ちた生活か、大臣の下で才能を活かすかという選択肢を前提すれば、豊太郎のように決定を下さないという特有の苦悩が生じる。双方の選択はそれぞれともに正当なものであり、どちらか一方を否定することは他方からの批判を生む。この同等の対立においてはいずれが正しいかを決定できない。多くの人が豊太郎が帰国することを選択したのは、「近代的自我」の目覚めだからだという。けれども、「されど、我が脳裏に一点の憎む心、今日までも残れりけり。」[1]という文章はこの作品を象徴しており非常に印象的である。どうして憎むのであろうか。相沢が豊太郎の知らない間にエリスに帰国することを伝えて、エリスは豊太郎が自分を欺いていたと誤解して発狂したからであろうか。それともほかに、また原因があるだろうか。次に文章を読みながら、現代人の私から豊太郎がどういうような人間なのか分析して、エリスを捨てて帰国することを選択した理由を考察してみよう。
二、豊太郎が留学の目的
まずは豊太郎はどんな人で、どんな目的で留学にいったのか、彼自身からみよう。「余は幼きころより厳しき庭の訓を受けしかひに…旧藩の学館にありし日も、東京に出でて予備黌に通ひし時も、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首に記されたりしに…我が名を成さむも、我が家を興さむも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、五十を越えし母に別るるをもさまで悲しとは思はず、はるばると家を離れてベルリンの都に来ぬ。」[2]
豊太郎はかつて首席、学士、官僚という経歴を誇りにし、名を揚げ家を興すという個人的成功を洋行の目的としていた。彼は個人的成功を収めようとするエリート意識を持っていた。豊太郎は成功によって母を田舎から呼び寄せたが、洋行に際しては母との別れをそれほど悲しい思わないほど決意は強かった。このように豊太郎は成功の大きさと決意の強さを母との関係で表現している。そして、必死に出世しようという信念であだなる美観に心を動かされまいという禁欲的意識を持つ。
それで豊太郎は誤解や讒謗され、免職を受けた。免職について豊太郎に非難されるべき弱点はない。豊太郎に責任のない誤解による免職という設定は後の復帰を予定している。でも、かれにとって、これはおおきなショックだった。「このままにて郷に帰らば学成らずして汚名を負ひたる身の浮かぶ瀬あらじ。さればとてとどまらむには学資を得べき手だてなし。」[3]学びの道も、仕への道をこれから歩むことができないだろうと仕方がないので友人に助けをもらった。「この時余を助けしは、今我が同行の一人なる相沢謙吉なり…余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編集長に説きて、余を社の通信員となし、ベルリンにとどまりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。」[4]相沢のおかげでとにかくドイツにいることができるが、仕事は自分の趣味にあわないので、ただ生活を維持する手段だと豊太郎が思って「我が学問は荒みぬ。」[5]二回繰り返し、自分の絶望や無能もしかして懺悔も含めるだろうという気持ちが表れると思う。
三、エリスとの愛情
エリスとの交際から二人の愛情を見よう。豊太郎が初めてエリスにあったときを様子を見よう。「一人の少女あるを見たり。年は十六、七なるべし。…何故に一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか…彼は優れて美なり...その見上げたる目には、人を否とは言はせぬ媚態あり。この目の働きは知りてするにや、また自らは知らぬにや」。[6]エリスが美人なので、豊太郎はエリスの美貌に心を動かされた。
二人の交際が僅かなお金を媒介にして始まった。「彼は父の貧しきがために、十分なる教育を受けず、十五の時舞の師の募りに応じて、この恥づかしき業を教へられ...卑しき限りなる業に落ちぬはまれなりとぞいふなる。」[7]豊太郎は舞姫の生活の特徴として薄給や売春を描いている。舞姫の仕事や売春を恥づかしい仕事とし、貧しい娘が陥りやすい堕落と考えている。「当世の奴隷」と言われる舞姫の境遇に同情をよせている。自己の社会的、道徳的優位を確信した上での彼の同情の中には貧しい生活や低い地位に対する軽蔑が表れている。
「余がエリスを愛する情は、はじめて相見しときよりあさくはあらぬに、いまわが数奇を憐れみ、また別離を悲しみて伏し沈みたる面に」。[8]つまり豊太郎とエリスの愛情は相沢が言った通り「人材を知りての恋にあらず慣習という一種の堕性より生じたる交わりなり。」[9]このような愛情は世間の試練に耐えることもできなく、長くは存在もできないだろう。それに個人的成功を収めようとするエリート意識を持っていた豊太郎にとって、もっと脆弱で割れやすいと私は思う。二人の別れることは事件の必然の結果だということがここではいえるだろう。
四、相沢の立場
外因の相沢から見よう。相沢が助けてくれたので恩人に感謝するというべきなのに、相沢に恨むのはなぜだろうか。
相沢はもともと品行方正の点で豊太郎を激賞していた。彼は豊太郎を学識と才能をもつ人物として「学識アリ、才能ある者」[10]と評価している。「またかの少女との関係は、よしや彼に誠ありとも、よしや情交は深くなりぬとも、人材を知りての恋にあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交はりなり。」[11]相沢は、エリスとの関係を適当ではないと批判する。エリスがいかに豊太郎を愛していても豊太郎の才能を理解することも生かすこともできない、そのような恋愛にこだわって自分の才能を殺すような目的のない生活をすべきでないと説得する。彼は豊太郎の才能は天方との関係で生かされるものだと考え、エリスとの関係さえ解消すれば名誉回復は可能であると保証している。エリスと別れるべきだということが相沢の考え方としてはっきり示されている。相沢が示した選択肢では、社会に対して大きな使命を果たすことと、エリスとの愛情に満ちた生活とが対立させられている。才能か愛情かという選択肢においては、才能を生かすとは愛情を失うことであり、愛情に生きるとは才能を殺すことである。これらはどちらか一方を選べば同等に重要なもう一方を失うことになる、二律背反の選択肢である。この選択肢において相沢は才能を選ぶべきだと主張した。豊太郎はこの選択肢のどちらを選ぶべきか思い悩んでいる。豊太郎はエリスと自分の将来をどちらを捨てるか決定を下すことができない。「我が弱き心には思ひ定めむ由なかりしが、しばらく友の言に従ひて、この情縁を断たむと約しき。余は守るところを失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に対しては否とはえ答へぬが常なり。....友に対しては否とはえ答へぬが常なり。」[12]というそらぞらしい説明は自分の本当の気持ちから目をそらせた逃げ口上である。豊太郎の「心の奥底で根強くふすぶっていた欲求の現れであったからこそ、このように素早く口をついて出ることができたのである。」[13]相沢に勧められて、エリスと別れてはいけないことになった。相沢に恨みをもつことがここからすこしわかるだろう。しかし、事実はそうだろうか。哲学には「物を本質的に変化させるのは内因である。外因が重要な条件だけである。」この場合は相沢がただの外因にすぎない。どちらを選ぶことを決めるのは豊太郎という内因である。それで、内因はなんだろう。豊太郎がもともと名を揚げ家を興し仕への道を歩むという人生の計画なので、エリスとの愛情はただふとした手落ちで犯した過ちにすぎない。「彼を玩弄し、彼を狂乱せしめ」、[14]エリス乃至豊太郎の母も犠牲品なのである。次に見ればわかると思う。ロシアからもどったあと、大臣に帰国にしようとと進められた時、「もしこの手にしもすがらずば、本国をも失ひ、名誉を引き返さむ道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られむかと思ふ念、心頭を突いて起これり」[15]と考えた上、決心をした。即ち豊太郎はやはり利己の動機で、帰国を選んだのである。
五、責任の転嫁
「ああ、ドイツに来し初めに、自らわが本領を悟りきと思いて、また器械的人物とはならじと誓いしが、こは足を縛して放たれし鳥のしばし羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし。さきにこれをあやつりしは、わが某省の官長にて、いまはこの糸、あなあわれ、天方伯の手中に在り。」[16]豊太郎が自分のたゆたい、感傷の惑溺、自己卑下、自暴自棄、などの情念を隠蔽し忘却し解消しようと計って描写されていない。「作者はそれを意識的に避けたのである。」[17]この言葉には豊太郎の卑怯な弁解の気配があると思う。
でも、恩人の相沢に恨むのはなぜだろうか。たしかにエリスに教えるのは相沢である。エリスが相沢と豊太郎の約束をきいて、ショックをうけ、発狂した。個々から見れば、相沢のせいで、エリスが豊太郎の帰国の約束を聞いて発狂したようである。しかし、実は豊太郎がやむをえず選択したみちのことに責任を取らないように、自分の許すべからぬ罪に相沢に責任を転嫁し弁解をしたのだと思う。エリスの破滅にいたる過程で豊太郎が決定的な責任を持ち、無責任と非難されるべき罪がある。
かりに豊太郎とエリスはドイツに留まったとしても、二人の生活は美しく幸せになることができるだろうか。たとえおぞましい生活が二人をまっていたら、豊太郎が自分の選択に懺悔とか、残念などの情念を生むことはだれでも保証できない。
六、終わりに
以上、分析したどおり、豊太郎が本来名を揚げ家を興すという個人的成功を収めようとする人生の計画で、どんなことに遇っても、人生の目的を変えることができない決意である。エリスとの愛情は人生におけるひとつのエピソードにすぎない。その故、エリスを捨てて、仕への道を選ぶのは当然なことで理解できることでもある。豊太郎は心が弱いから、相沢に従って、エリスを発狂させ、相沢に恨んだのは豊太郎の責任を転嫁したの弁解である。
〖注释〗
1『舞姫うたかたの記』.森鴎外.99ページ
2『舞姫うたかたの記』.森鴎外.75ページ
3『舞姫うたかたの記』.森鴎外.85ページ
4『舞姫うたかたの記』.森鴎外.85ページ
5『舞姫うたかたの記』.森鴎外.86~87ページ
6『舞姫うたかたの記』.森鴎外.80~82ページ
7『舞姫うたかたの記』.森鴎外.84ページ
8『舞姫うたかたの記』.森鴎外.85ページ
9『舞姫うたかたの記』.森鴎外.90ページ
10『舞姫うたかたの記』.森鴎外.89ページ
11『舞姫うたかたの記』.森鴎外.89~90ページ
12『舞姫うたかたの記』.森鴎外.90ページ
13『明治期の文芸評論』.森鴎外『舞姫』の発想.谷沢永一.八木書店(52ページ)
14『文芸評論集』石橋忍月篇『舞姫』(3ページ)
15『舞姫うたかたの記』.森鴎外.96ページ
16『舞姫うたかたの記』.森鴎外.94ページ
17『明治期の文芸評論』.森鴎外『舞姫』の発想(42ページ)谷沢永一.八木書店
参考文献
1『文芸評論集』.現代日本文学大系[M].筑摩書店,1973
2森鴎外.『舞姫うたかたの記』[M].角川文庫,1993.6.20
3高惠勤编选.『日本短篇小说选』[M].中国青年出版社,1983
4桑原武夫.『伝統と近代』[M].文芸春秋,1972
5谷沢永一.『明治期の文芸評論』[M].八木書店,1971